電話占い依代には日本中の一流霊能者が集っています。依代に所属する霊能者の中には、電話鑑定を行う傍らで、全国の有名霊場をめぐる「巡礼」を定期的に行い、霊能力に磨きを掛け続けている者も大勢居ます。今回は霊能者達が霊力を高める目的で行う「巡礼の旅」に注目し、本物の霊能者が霊験を積む際に訪れる日本の霊場を、数点ほど解説いたします。
「お遍路」と呼ばれる有名巡礼
四国全域に点在する八十八箇所の霊場をめぐる四国八十八箇所巡りは、日本における最も有名な巡礼と言えます。この巡礼の目的は空海(弘法大師)ゆかりの聖地を訪れることで霊験を積むもので、古くは平安時代から行われてきた伝統的な巡礼様式です。「お遍路」と呼ばれ、巡礼者は「お遍路さん」と呼ばれます。近年では観光バスや自動車で回る巡礼者も多く見受けられますが、本業の霊能者が霊験を積む場合は、必ず徒歩で行います。
「逆打ち」の真相
八十八箇所巡りには決められた順番があり、順番通りに回ることを「順打ち」、順番とは逆に回ることを「逆打ち」と呼びます。近年「死んだ人の歳の数だけ八十八箇所を逆に回ると死者が甦る」といった噂が囁かれていますが、こちらはホラー映画の影響であり、実際の逆打ちにはそういった類の効果はありません。本来の逆打ちは、霊験をより高めるための手法のひとつです。逆打ちは順打ちに比べて難易度が高く、また“今なお八十八箇所を順打ちで巡り続けている”という空海にすれ違う確率が高くなることから、より多くの霊験を積めるとされます。また、この逆打ちをうるう年に行うことで一層大きな御利益を得ることが出来るとされます。
修験者専門の厳しい霊場巡礼
近畿地方に点在する三十三箇所の霊場をめぐる西国三十三箇所巡りもまた、強力な霊験を積むための方法のひとつです。西国三十三箇所巡りは、研究によると平安時代から、また伝説によると奈良時代から続く巡礼と言われています。この巡礼はルートの物理的距離が非常に広く、総歩行距離は約1000km以上になります。約1000km以上の道程を踏破するのは庶民にとっては非常に困難であり、それゆえ庶民は三十三箇所のうちの数箇所のみを訪ね回ったと言われています。三十三箇所すべてを徒歩で巡る正式なやり方は修験者専門の行為でした。
現世の罪業を解消する
西国三十三箇所巡りには、かつて有名な高僧が「三十三箇所の観音霊場を回ることで滅罪の功徳がある」と閻魔大王から教えられた、という伝説が残っています。このことから罪滅ぼしやカルマの解消に高い効果があるとされています。「功徳を積み、さらに霊力を高めたい」と願う本物の霊能力者たちの間では効果的な修業のひとつとして広く知られており、現在でも三十三箇所の各霊場では有名霊能力者たちが巡礼の旅を行う姿がたびたび目撃されています。
熊野古道を越えて三社へ向かう巡礼
紀伊半島にある熊野三山、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社への参拝も有名な巡礼のひとつです。熊野三山に通じる道は熊野古道と呼ばれており、飛鳥時代の頃から修験者たちの巡礼路として使用されてきました。和泉山脈や紀伊山地を越える非常に険しいルートでしたが、困難な道程を踏破して行き着くこと自体にも信仰上の意義が見出されていました。この歴史を踏まえ、霊能者が行う正式な巡礼は熊野古道を徒歩で歩いて行われます。ですが現在、熊野古道は観光ルート化され比較的歩きやすくなっていますので、一般の方でも比較的行いやすい巡礼と言えるでしょう。
極楽浄土に最も近い地
日本書紀には“創世の女神イザナミノミコトが熊野に葬られた”という記述があり、黄泉下りの逸話も残っていることから、熊野は“黄泉国への入口”また“極楽浄土の地”として捉えられています。熊野周辺は古くから修験者達の修行場とされてきましたが、浄土信仰が活発になるにつれ「浄土」と見なされ、巡礼の地としての様相を呈してきました。平安時代末期の上皇・後白河院は合計34回もの参詣を行った記述が遺されています。皇族や貴族の度重なる巡礼によって熊野への道が整備され、やがて庶民達の間にも広まっていきました。一帯には八咫烏(ヤタガラス)の伝説などもあり、非常に霊力の強い土地とされています。